不倫は、いつから「罪」ではなくなったのか

現在の日本では、不倫をしたことだけで逮捕されたり、刑罰を科されたりすることはありません。しかし、不倫は昔から犯罪ではなかったわけではありません。

江戸時代には死罪。明治から戦前までは、夫のある女性とその相手を刑事処罰。そして現在は、離婚や慰謝料という民事上の問題として扱われています。

不倫をめぐる法律は、何を守り、誰に責任を負わせるかを、時代とともに大きく変えてきました。

目次

第1章 江戸時代の密通

不倫は死罪だった。

江戸時代には、現在の不倫に当たる行為は、主に「密通」と呼ばれていました。ただし、当時の密通は既婚者の不倫だけを意味するものではなく、婚姻、身分、主従関係から見て許されない男女関係を広く含む言葉でした。

寛保2年、1742年に成立した『公事方御定書』下巻には、密通に対する処罰が定められていました。伝本によって条番号や題名に違いがありますが、第48条「密通御仕置之事」または第50条「密通之事」として伝わっています。

夫のある女性と密通した男性は、女性とともに死罪とされました。特に、自分が仕える主人の妻と密通した男性は、引き回しの上で獄門とされ、主人の妻も死罪とされました。夫婦間の問題だけではなく、主従関係や家の秩序を壊す行為として、重く扱われたためです。

ただし、密通が発覚すれば必ず奉行所で裁判になったわけではありません。夫が訴えなければ表沙汰になりにくく、裁判にするには、現場を押さえるなど密通を裏づける証拠も必要でした。

そこで実際には、奉行所へ持ち込まず、当事者間で金銭を支払って終わらせる「内済」も行われました。密通した男性が夫に金銭を支払い、妻は離縁され、事件を表沙汰にせず終わらせる方法です。

その金額について、「間男は七両二分」という言葉が残っています。ただし、七両二分は法律で定められた罰金ではありません。当事者間で解決する際の相場の一つです。

江戸時代の密通は、法令上は命を失うほど重い罪でした。一方、現実の庶民生活では、金銭と離縁によって処理されることもありました。厳しい刑罰と、当事者間の現実的な解決が併存していたのです。

第2章 妻の不倫だけが犯罪だった時代

明治時代になると、江戸時代に「密通」と呼ばれていた行為は、「姦通罪」として刑法に定められました。

明治13年、1880年に制定された旧刑法第353条は、夫のある女性が姦通した場合、その女性と相手の男性を処罰すると定めていました。

その後、明治40年、1907年に制定された刑法でも、姦通罪は第183条に引き継がれました。夫のある女性と、その女性と関係を持った男性は、2年以下の懲役とされました。

ただし、夫と妻が平等に処罰されたわけではありません。妻が夫以外の男性と関係を持つと、妻と相手の男性が処罰されました。一方、既婚男性が独身女性と関係を持っても、夫は姦通罪には問われませんでした。

処罰されるかどうかは、男性が結婚しているかではなく、関係を持った女性に夫がいるかどうかで決まっていたのです。

刑法第183条は、夫からの告訴がなければ処罰できないとも定めていました。妻の不倫を刑事事件にするかどうかを、夫が決める制度でもありました。

離婚についても、夫と妻で扱いが異なりました。当時の民法第813条は、「妻が姦通をしたとき」を夫から離婚を求める理由としていました。

一方、夫については、婚外関係を持っただけで同じように離婚原因になる仕組みではありませんでした。夫が独身女性と関係を持っても姦通罪にはならず、少なくとも姦通を理由とする条文によって、妻が同じように離婚を求めることはできませんでした。

法律上は一夫一妻制でしたが、夫が妾を置く社会慣行も残っていました。夫の婚外関係には比較的寛容でありながら、妻の婚外関係には刑罰が科されていたのです。

姦通罪は、夫婦双方の信頼を平等に守る制度ではありませんでした。妻の貞操と、家の血統を夫の側から守る性格の強い制度でした。

第3章 敗戦と姦通罪の廃止

昭和20年、1945年、日本は戦争に敗れ、GHQの占領下に置かれました。

GHQが示した民主化政策の一つが、女性参政権の実現を含む「婦人の解放」でした。女性に選挙権を与えるだけではなく、婚姻、家族、財産など、女性を不平等に扱ってきた制度全体の見直しが進められます。

昭和21年、1946年に公布された日本国憲法は、第14条で法の下の平等を定めました。第24条では、婚姻や離婚など家族に関する法律を「個人の尊厳と両性の本質的平等」に基づいて定めるとしました。

夫のある女性とその相手だけを処罰する姦通罪は、そのままでは新しい憲法の理念と両立できなくなりました。

ただし、初めから廃止で意見が一致していたわけではありません。妻の不倫だけを処罰するのが不平等なら、夫の不倫も犯罪にして、男女とも処罰すべきだという意見もありました。

国会では、男女とも処罰するのか。それとも、男女とも処罰しないのかが議論されました。

最終的に選ばれたのは、男女とも処罰しない制度でした。不倫が許されたのではありません。夫婦間の貞操を、国が刑罰によって取り締まる制度をやめたのです。

昭和22年、1947年の刑法改正により、姦通罪を定めていた刑法第183条は削除されました。日本で不倫が「罪」ではなくなったのは、敗戦から2年後です。

第4章 現在の不倫と法律

現在は、不倫をしたことだけで逮捕されたり、刑罰を科されたりすることはありません。

一方、民法第770条第1項第1号は、現在も「配偶者に不貞な行為があったとき」を裁判上の離婚原因としています。夫の不貞でも、妻の不貞でも、同じ条文が適用されます。

法律が使う言葉は、「不倫」ではなく「不貞な行為」です。一般に、配偶者以外の人と自由な意思で性的関係を持つことをいいます。

二人で食事をした、連絡を取り合った、好意を伝え合ったという事情だけで、直ちに法律上の不貞行為になるわけではありません。

不貞行為によって精神的な損害を受けた場合は、民法第709条と第710条に基づき、慰謝料が問題になります。

ただし、慰謝料は不倫に対する罰金ではありません。国が制裁として科すものではなく、不貞行為によって生じた精神的損害を金銭で賠償するものです。

そのため、不貞行為があれば必ず同じ金額の慰謝料が認められるわけではありません。婚姻期間、不貞関係の期間や態様、夫婦関係の状態、発覚後の経過、離婚に至ったかどうかなどによって判断は変わります。

また、不貞関係が始まる前に夫婦関係がすでに破綻していた場合は、不倫相手に対する慰謝料請求が認められないこともあります。

不倫は、江戸時代には、夫のある女性とその相手の男性が、ともに死罪とされた時代がありました。明治から戦前までは、夫のある女性とその相手が姦通罪で刑事処罰されました。現在は、不倫したこと自体で国から刑罰を受けることはなく、主に離婚や慰謝料という民法上の問題として扱われます。

しかし、民事上の責任は自動的に確定しません。不貞を理由に離婚や慰謝料を求める側は、原則として、その前提となる事実を主張し、証拠で示す必要があります。

問題は、その責任を現実のものにするための負担まで、不倫された側が背負いやすいことです。

法は、不倫した側の責任を問うことはできます。しかし、その責任を問うために、不倫された側が事実を示し、手続きを進めなければならないという理不尽さまで、解消してくれるわけではありません。

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